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ボブ・ディラン (アルバム) : ウィキペディア日本語版 | ボブ・ディラン (アルバム)
『ボブ・ディラン』()は、1962年にリリースされたボブ・ディランのデビュー・スタジオ・アルバム。ディランを見出したコロムビア・レコードのジョン・ハモンドによりプロデュースされ、2曲の自作曲「ウディに捧げる歌」、「ニューヨークを語る」の他、「朝日のあたる家」、「死にかけて」などトラディショナルなフォークやブルースの楽曲を主に収録している。 当初の売り上げは振るわずアメリカではチャート・インしなかったものの、1963年グラミー賞最優秀フォーク・レコーディングにノミネートされ、その後の活躍により1965年に全英アルバム・チャートで最高13位を記録した。 == 解説 == このアルバムでは、ソングライターとしてのディランの面目はまだ十分発揮されていないが、シンガーとしての基本的なスタイルとギター演奏やハーモニカ演奏における卓越性を聴くことができる。それは、アコースティック・ギター及びハーモニカによるドライブ感溢れる伴奏と、しゃがれ声による荒削りなボーカルであるが、一般の嗜好には必ずしも合わないものであった。だが、その声は意識的に作り出したものであり、後の『ナッシュヴィル・スカイライン』(1969年)などに示された声が、彼本来のものであるという説もある。しゃがれ声で歌う理由についてディランは、「ジョウン・バエズ・イン・コンサート」第二部のジャケット・ノートで、「ただ一つの美は裂け目や敷石の中にある埃や垢でできた服をまとっている」「汚い声のほかはどんな声も私は少しも関心がない」と述べている〔『ボブ・ディラン全詩302編』晶文社〕。これは彼独自の考えではなく、1961年9月のニューヨーク・タイムズに発表されたロバート・シェルトンによるコンサート・レビューでも、ディランの歌唱について、「決してきれいではないが、南部の労働者の想念の持つ粗野な美をとらえようとしており、殻と樹皮がそのまま残された、燃えるような強さに満ちている」という評価がされている(このレビューは後述のようにレコード化に力があったもので、ライナー・ノーツにも記載された)。また、ディランが歌を学んだジャック・エリオットも同じような声で歌っており、労働者の生活感情を表現するためにはそのような声がふさわしいという考えが、ディラン周辺のフォークシンガーの間に存在していたことを示している。
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